78歳の父が前立腺がんを患ったのは、5年前。
肩に出来た動かない”しこり”に異常を感じ、病院へ。
肩ということもあり、耳鼻科や脳外科、首から上の病気を推測し
病院内を検査回しにされた。
結果、前立腺がんから、リンパへ癌が転移しているとの報告だった。
”しこり”以外に何の症状もない本人が一番驚いていた。
癌は早期発見であれば治る時代・・
父は既にステージ4で、手術不能と診断された。
父と母は二人暮らし・・老夫婦の闘病生活の始まりである。
夫の介護をすることになる母・・・
ふと、将来の自分の姿を重ねてみた。出口の見えないトンネルに突入し、
私なら・・夫にどこまで寄り添えるのだろう?
夫婦の関係はこじれやすいという事実
父と母の生活が少しずつ変化していった。
「家にいてほしい」という父の望みをかなえるためパートを辞めた母。
初めの頃は父の体調も「本当に癌?」と思うほど、以前と変わらぬ様子だったが、
数値の悪化から、抗がん剤治療が始まったのは2年ほど前だろうか。
体調にムラが出てきた父と世話をする母の間に苛立ちが生じていた。
少しの会話でお互いが突っかかる。私たち娘を介して嫌味をチクリチクリと言い合う。
仲の良い夫婦なのに、支え合って暮らしてきたのに・・寄り添いすぎて甘えてしまう。
築き上げたはずの夫婦の関係は、一瞬でこじれてしまった。
夫婦でいることは苦難の道
体調を崩しながらの抗がん剤治療も父には効かなかった。
抗がん剤治療を中止し、波のあった体調は元に戻りホッとしたのも
束の間。次に父を苦しめたのは脊柱狭窄症であった。
骨は丈夫だと言われていた父が抗がん剤治療の副作用か?それとも
ただの老化?
いずれにせよ、激しい痛みが襲い、起き上がることができない。
トイレも這うようにして行くものの、間に合わないこともしばしば。
痛みは人を変えてしまう。
父の苦痛、母の苦痛・・限界はやってきた。
私たち娘は母が少しでも寝られるようにと紙パンツの使用をすすめたが
頑固な父は拒否するだけ。母への思いやりの欠如とプライドが邪魔をする。
熟年夫婦のよく言う、”空気のような存在”は時に相手を苦しめる。
夫婦には他人という第三者のスパイスが必要
父が初めて紙パンツをはいたのは、通院の日、歩きかねていた父を主人が
病院へ送迎してくれた日。主人の車を汚しては困ると思ったのか・・。
その後、ベットやトイレの介護用品を揃え自宅での訪問介護を受けている。
今ではリハビリや看護師さんの訪問を楽しみに、父の苦痛だけではなく母の心労も
取り除いてくれているようだ。
74歳の誕生日を迎えた母は、”お陰様でお父さんと穏やかな毎日を過ごしています”と
メールをくれた。
良い意味で気を遣うということが、人を穏やかに変えてくれる良いスパイスとなるのだろう。
まとめ
両親の姿は、将来の自分達の姿。
私が母の立場になったら、夫をどこまで愛せるだろう?
私が闘病することになったら、夫はどこまで寄り添ってくれるのだろう?
今はまだ、その答えは出ない。夫婦の愛情なんて相性が良い日もあれば悪い日もあるものだ。
ふと、私に言った父の言葉を思い出した。
「母さんを解放してあげたいと思うんだがなあ・・」
本人には伝える事の出来ない不器用な昭和男の愛情表現・・かな。