結婚をして21年が過ぎた。
子供も大学生と中学生になり、自分たちの時間を少しずつ持てるように
なってきた今日この頃。
改めて結婚生活を振り返る。「結婚生活」は人生で最高の幸せと最悪の
悲しみを味わうものだ。二人三脚で歩んできたつもりでも、どこかで
歯車がかみ合わなくなったり、その時折々の感情で、お互いを傷つけ合う
こともある。その反面、築き上げた「幸せな”普通”の生活」という歴史は
他の何をもっても置き変えることは出来ない。
その両方があるからこそ、許せることもあり今日も共に暮らしているのだろう。
さて、先日友人と食事をしながら”好みの男性”について話をした。
44歳になって話す内容とは思えないが、むしろ今だからこそ何とも面白い。
最終的には夫への愚痴を交えての談笑である。
夫は好みの男性ではなかった?
友人と話している中で、私が述べた”好みの男性”とは下記の通り・・・。
(性格)
①思いやりがある
②経済力がある
③ポジティブでタフである
④理性があり冷静で知的である
⑤私を尊重し自由を与えてくれる
(容姿)
①175cm程度の身長(抱きしめられて心地良い大きさ)
②スマートだけれど鍛えられた体である
③さっぱりとしたしょうゆ顔
④インテリ風
44歳ともなると、かなり箇条書きで明確に言えるものだと自分自身に驚いた。
若い頃は”好み”と言われても何が良いのか、曖昧であったような記憶がある。
それにしても容姿の好みは夫とは全く違うではないか^^;
「100%好みでない方が良い」という考え方
独身時代、彼氏としてお付き合いしている頃はどんな”好みの男性”を掲げて
いただろうか。記憶をたどると、おそらく下記の通り・・・。
①背が高くて男前
②優しくて私の事を優先して考えてくれる
③大人っぽい考えを持った人(何でもリードしてくれる人)
④一緒にいて楽しい人(ずっと友達のような感覚でいられる人)
⑤束縛しない人
今思うと現在の好みと似通ったところもあるが、まだまだ現実味のない理想と
空想の中で語っているようだ。
それでも若い頃の夫は③以外は合っていた。だからお付き合いをして結婚まで
辿り着いたのかもしれない。
現在の”好みのタイプ”とは、お互いの経験と成長を経て語れるものである。
100点満点のお相手などはいるはずがない。仮にそんな人がいたとしたら、
そこからの長い人生は減点法しかないだろう。
そう考えると、お相手の何点かは”好み”でなくても良いかもしれない。
減点部分はそのうち理想に近づく可能性を秘めているとでもしておくべきか。
まとめ
先日、夫と2人で旅行に出かけた。前から気になっていたが、夫とは背の差もあり
歩幅と歩くペースが全く合わない。これは大変不愉快である。
一緒に歩いても気が付けば数メートル先に夫の背中が見える。
結婚して初めてその苦痛を夫に告げた。「旅行にきてもいつも一人旅のようだ・・」と。
すると夫は言った。
「女性が頑張ってついてくるものじゃないの?ゆっくり歩くのはしんどいんだよ~。」
まさかの返答に唖然とした。夫よ。残念ながら大きな大きな”減点”だな (-_-)
歳を重ねる毎にお互い体力も気力もスローペースになる。
その時「好みの男性は?」と聞かれたら、たった一つ”思いやりのある人!”と言うだろう。